狩婆(Q)思ふ

四十路の現状確認と葛藤。もりもり働いて  猟銃撃ってたら癌になってもうた。

【癌回顧録】粒粒辛苦 放射線あびまくりんぐの巻

ああ、わたし乳がんだあ。
なんか気持ちの整理がつかないまま放射線治療に突入。

この時期は、告知直後はさすがに涙涙だったけど、夜にはしっかりしなきゃセンサーが働いて、このあとは整理はつかないけど、受け入れるしか無いからと妙に平常心を装って行動してた。

今思えば、我慢しないでもっと悲壮感だしてもよかったかも、落ちるとこまでめそめそしてもよかったかもなあ、とも思っちゃった。
と、いうのも、この数ヶ月後から妙に気持ちが突然落ちてしまって、コントロールできなくなったり、無意識に涙が流れてしまったり、情緒不安なことが出てきてしまったから。
当時は病院に対する文句や愚痴も、細かいことだしなんか言ってはいけない気がして、気持ちを押し殺してる部分はあって、困るんだ〜とは言えても、この小さいイライラとかはうまく人に伝えられなかったんだ。
ブログも別にリアルタイムでしてたんだけど、妙にまわりに感謝してて(ラッパーかよ)自分の陰鬱な部分はあまり書いてないの、知り合い相手にいい人ぶる私。

あああああああ

ってことで、やっぱだめよね、小さな愚痴も吐き出すんだ!もうあんなに情緒不安定になりたく無いもん。

さて、まあ始まりましたよ、放射線治療、土日祝日以外は毎日通います。

放射線治療中は体が結構しんどかったなあ、毎日通いで2ヶ月半。
なんかずーとだるかったし、船酔いみたいにフラフラするし、息切れするし、肌は荒れるし、後半は胃も調子悪くなるわ、口ヘルペスはできるは、身体中蕁麻疹できるし、胸と脇は黒ずんで水泡できて痛いしかゆいし肌は熱くてほかほかしてるし。
あっちには、この軟膏、こっちにはこの軟膏って体のあちこちにそれぞれの軟膏ぬってて軟膏婆化してたわ。

でも放射線科の技師と看護師のみなさんはすごくいい方々でわたしの治療の唯一の癒しだったなあ。
本当にいい人たちだった。

しかし、放射線科の医師は存在意義のわからないおじいさん先生だった。
週に2回は問診あるの、で聞かれるから体の不調を訴るじゃん、そうすると「それは放射線のせいではありませんから」「とにかく免疫あげてください」しか返事しないのよ。
もうさ、何のせいでもいいからさ、聞くんならアドバイスか他の科に紹介や予約とってくれるとかさ、してくれればいいのに、それもしてくれないの。
人生初の口ヘルペスできちゃって、いたくてどうしていいかわからない時も「うちの病院の皮膚科は人気あるから予約とれない、自分で駅前の皮膚科にいって」
風邪ひいた時も「風邪気味なの?この時間からうちの病院でみるのはむずかしいから、どこかの内科でみてもらえば?(*この病院は基本的には午前中に受付しないとその日に診療してくれなく、放射線科の問診がだいたい午後イチが多いので、こういった返答になるっぽい)」とか。

結局、同じ病院で予約うごいてくれないから他の病院に掛かるといという、まさかの病院はしご。
病院かわると医療費が別にかかるから、できるだけ同じ病院に診てもらいたいのに・・・何の為の総合病院かと。

気がついたら季節は夏の終わりから年も明けて、晩冬だったなあ。

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