狩婆(Q)思ふ

四十路の現状確認と葛藤。もりもり働いて  猟銃撃ってたら癌になってもうた。

水滴石穿 大きな病気を経て考え方がかわったでござーる。

2015年秋に乳がんが見つかりわたしの生活は一変した。
こんなに生活が変わったのは結婚して以来だ。
ただ、結婚はポジティブゆえの変化だったけど病気はネガティブというか
自分の決断によって変化が始まったわけでなく、発覚とともに変えざるおえなかった。
 
独身時代は若かったし、そこそこ健康だし、とにかく仕事は生き甲斐だった。
辛いこともすごく多かったけど、2本足でしっかり生活基盤をたてるため働くことは当たり前だし
ちゃんと働けばお金ももらえるし、やりがいはあったし、友達には本当に恵まれてたし。
今!生きてるわたし!忙しくて物事の流れは早いけどサイコー!って感じだった。
ただ、どこかで倒れたら終わり感は心のどこかにあったな。
いつまで、この生活できるんだろうって。
狭い世界だけど、大きい仕事だったし、世の中の中心にいるって自負してた(こえーっw)
わたしの仕事生活は私生活も仕事の延長上にあって、それが当たり前のままきてて。
仕事と生活の線引きはあいまいだった。
家も、何分で現場に到着できるか?という仕事の利便性のみで選択してたし、ただ寝る場所だった。
 
結婚を決めた時、この仕事はこのまま続けられる仕事ではないことがわかっていたので
がらっと環境を変える決断をした。
自分でもナイス決断だったと思う。
仕事が一番から結婚生活を楽しむこと、いい環境をつくることを第一にした。
収入は減ったけど、時間はできた。
そして世界はもっともっと広いことを知った。
そしてクリエイティビティは生き方だと理解した、どんな生活にも日常にもクリエイティブはある。
自分のための家事からふたりのための家事にシフトした。
これまでまったく未経験の事務の仕事も楽しかったし、わたしは仕事はなんでも楽しめる人間だと、
そして以外にもなんでもできるじゃんって気がついたw
結婚して4年そろそろ欲だして事務でも収入上げたいな、どうキャリアパス考えるかな?って矢先の癌だった。
 
それまでのわたしの時間を癌はまるっと奪っていった。
でもわたしは治療が終わればまたすべてが戻ると勘違いしていた。
そして、戻ることはなくまたイチから自分を作ることに後で気がついた。
治療終了後すぐに復職したものの、いままでの自分と全く違うことに愕然とした。
これまで当たり前にきていたことができない歯がゆさかに混乱しすぐに退職した。
自宅療養をして経過観察1年目を終え、あ!お金ないと気がついて仕事をしようと外にでた。
 
頭の回転が病前程度まで回復するのに治療終了から1年半かかった。
そして経過観察2年目を終え、体力は7割弱は作り込めたような気がするけど、まだまだ振り幅が多く自分で体の管理というか把握は正直今現在もできかねている。
仕事はパート事務へとキャリアダウンしたけど、週4日18時間労働がちょうどいい。
これまでの仕事人生のなかでパートをいうのは実は葛藤があった。
でも自分の体調をちゃんと理解してからは、なかなか居心地いいポジションだと気がついた。
そして1年パートを続けていくと、だんだん考え方も変わってきた。
どうせ実入りの少ないパートで働くなら人間関係も、業務内容もよりよい環境へ。
のちに自分への財産になるであろう環境をつくれるか、またはそのような環境で働こうと。
少ない収入だからこそ、選択することって大事だなって。
選べるような景気の回復時期も後押ししてくれてる。
まあ、もちろん仕事できるパートって前提ありきなんだけどwww
 
生活面では超カッツカツで本当ならパートからせめて契約社員くらいまでにはしたいんだけどね。
まだ、そこまでわたしは体力はないことも理解してる。
カッツカツの生活の中で体力と向き合って仕事を選んでいきたい。
そして知の貯蓄をして自信がついたことに飛躍できるように準備したい。
そんで、できるかぎり部屋は綺麗にして旦那さんと美味しいものも食べて笑って生きていきたい。
最初はネガティブにしょうがなく生活が一変したけど、今できる範囲の中で自分で決断して選択していけるくらいまでになったことが嬉しい。
まあ、あれだ、今も昔もわたしは欲張りだw
 
そして明日からまた、新しいチャレンジが始まる。
ドッキドキだ。
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